
浄土真宗とは
親鸞聖人(1173~1263)を開祖とし、
阿弥陀如来という仏様の教えを聞くことを大切にするのが浄土真宗です。
一般的に仏教における救いとは、自ら修行の道を歩み、さとりをひらくものです。
しかし阿弥陀如来は自らの力でさとりに至ることができない者こそ救いたいと願われました。
その願いは「南無阿弥陀仏」という言葉となり私たちのところに至り届いているのです。
この「南無阿弥陀仏」称える人生を歩んでいくことが浄土真宗の教えです。
しかし、このように申しましても、私たちには雲を掴むような話に聞こえるかもしれません。
そこで、少し言葉を変えて、浄土真宗とは何かということを考えてみます。
今私たちは生きています。
生きているということは、いつかこの世のいのちを終えなければならない日がやってくるということです。
では、いのち尽きたあと、私たちはどうなるのでしょうか。
地獄に落ちるのでしょうか。
天国にいくのでしょうか。
私たち人間には、その答えは分かりません。
では、私たちは死に対して、どのように考えればいいのでしょうか。
それは、人智を超えた存在に聞くしかないのです。つまりは仏様です。
私たちが拠り所とする阿弥陀如来は、
私たちがいのち尽きたあとは極楽浄土へ往き生まれるのだとおっしゃいます。
この極楽浄土がどのような世界か。
お経には説かれていますが、実際のところは分かりません。
はっきり言って分からないことばかりです。人間が作ったものではないからです。
しかし、だからこそ拠り所になるのではないかと思います。
人間の作ったものは不確かでいつか壊れていくものです。
安心安全だと思っていた科学も決して100%ではありません。
だからこそ、目に見えないもの、形のないものを求めていくこと。
私たちが生きていく上での確かな拠り所は、ここにあるのではないかと思います。
宗教だから怪しい、仏教なんか信じられないという方もおられます。
しかしそれは、宗教・仏教を利用した人が原因ではないでしょうか。
宗教・仏教自体は決して悪いものではありません。
どうぞ一度、仏様のお話を聞いてみてください。
浄土真宗本願寺派とは
西本願寺を本山とする仏教教団。
一口に「浄土真宗」と言いましても、10派以上に分かれています。
その中でも規模が一番大きいと言われているのが、本願寺派です。
ちなみに東本願寺を本山とするのは、真宗大谷派といいます。
分かれている理由は様々あります。
しかし、阿弥陀様を中心とする浄土真宗には違いありません。
「派」や「所属」などにとらわれることなく、本質を聞くことが大切です。